地方の落ちこぼれが海外留学・海外就職を実現、イワトビの経歴

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1.自己紹介

アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス近郊にある投資ファンドで、アメリカ人の上司・同僚に囲まれながら投資アナリストとして働いています。

地方の公立校出身で、高校時代は無気力、落ちこぼれだったものの、そのまま人生が終わってしまう気がして、卒業直前に猛勉強を開始し、慶應義塾大学に入学しました。卒業後は、総合商社への就職、海外駐在を経て、アメリカのアイビーリーグのビジネススクールに2年間留学。2018年に卒業した後は、そのままアメリカ企業に現地就職しました。

日本人の殆どいない環境で約7年間、アメリカでは約4年間生活しており、上司、同僚とのコミュニケーション、海外企業の経営者との会議、議事録・投資分析レポートの作成などは、全て英語で行っています。

教育環境の良くない地方で育った落ちこぼれの私でも、試行錯誤を繰り返しながら、海外留学・海外就職を実現できたということで、本ブログでは私の経験をシェア出来たらと思っています。

2.学生時代は無気力、落ちこぼれだった私

私は地方の公立校出身で、周りの家庭・教育環境は荒れ放題、大学進学を真剣に考える家庭など皆無という環境で育ちました。

小学生の頃は特に夢を持っておらず、自分の将来について作文するクラスでは、方眼紙はいつも白紙。一番最後まで教室に残されていました。唯一興味のあった、野球やサッカーも、親同士の付き合いが面倒くさいという理由で、やらせてもらえず、夢を追うことを早々に諦めていました。

中学校時代は、親に無理やり塾に行かせられましたが、仮病で大半は欠席しており、月謝を払っていた親には今になって大変申し訳なかったと思っています(笑)

高校時代、唯一部活動のテニスにハマっていたものの、それ以外は無気力な時間を過ごしていました。宿題も試験勉強もしたことがなく、部活動で疲れて毎日夜8時か9時に就寝し、授業でも寝るという、とにかく寝ているだけの高校生でした。成績は酷いもので、高校3年の前半時点では、受かる大学がどこもない状況でした(汗)

とにかく無気力で、全てがどうでもいいと思ってました。

3.部活を取り上げたら何もない自分に気づく

無気力な時間を過ごしていたものの、引退を直前にして、部活を取り上げたら自分には何も残らないという現実を直視せざるを得ませんでした。そのまま人生が終わってしまう気がして、とにかく何かしなきゃという焦りばかりが募っていきました。それからは、卒業生の合格体験記を貪るように読みました。幸い、合格体験記には、自分に似た境遇だけれども、最後に巻き返して難関大学に合格した人が大勢いることを知り、自分もやってみようと決意しました。

不純な動機ですが、当時好きだった美人アナウンサーの誕生日が偶然自分と同じだったので、最終的に彼女の出身大学である慶應義塾大学に決めました(笑)

4.正しいやり方で、圧倒的な量をこなす

当時は今と違い、ネットで良質な情報が殆ど取れない時代でしたので、 勉強なんかしたことなかった自分には、どうしていいか全く分かりませんでしたが、 とにかく色んな人の話を聞きまくって、本屋で合格体験記を読み漁って、上手くいった人の真似をすることにしました。計画を練ったあとは、自分を信じて徹底的にやり込むしかありませんでした。

アホな高校生でしたが、 適切な学習計画さえ立てれば、あとは圧倒的な量でカバーするしかないだろうということで、腹を括りました。勉強時間の物理的な限界に挑戦することに決め、学校の授業も自分の合格プランには不要ということで、先生を説得してほとんど欠席しました。結果、1日13時間程度は確保することが出来ました。

5.小さな成功体験が達成感を与えてくれ、その積み重ねが世界を広げてくれた

無気力でポンコツだった自分でも、コツコツと学習を継続することで、成績が徐々に上がっていきました。自分が成長しているという達成感とともに、もっと高い目標を目指したいという意欲も湧いてきました。振り返れば、学生時代にハマったゲームも、部活も、受験も、語学学習も、小さな成功体験の積み重ねが結果につながり、自分のモチベーションを支えているという点で共通しているような気がしています。

6.総合商社での海外駐在を経て、会社の看板なしで、世界に挑戦したくなった

慶應義塾大学を卒業した後、総合商社に入社しタイに3年間駐在していました。人口数十万のうち日本人が数名しかいない東南アジアの僻地です。下は私が住んでた家の写真ですが、横はジャングル。デング熱に感染して一週間緊急入院し、死にかけたことがあります(汗)

顧客は主にシンガポール人で、社内のコミュニケーションや資料も英語がベースでしたが、日本企業の子会社ということで、高いレベルの英語力は求められませんでした。また、取引先の方々も、私が総合商社の社員というだけである程度リスペクトしてくれ、ヘタクソな英語でも聞いてくれました。しかしながら、 自分には海外の経営人材が当たり前に身に着けている、ビジネスの共通言語や基礎知識が欠如しており、彼らと対等にコミュニケーションをとることもできない自分の実力不足も痛感しました。日本の大企業の看板なしには、海外で全く通用しないと。 入社数年目の若造でもメイド付きの300平米の一軒家に住まわせてもらい、給料も額面ベースで2000万円くらい貰っていましたが、次第にこの生温い環境に我慢が出来なくなりつつありました。

また、ゼネラリストとして、会社のルールに縛られた生き方をしていましたが、職人気質な自分にとっては、専門職にシフトすることで、少し自由に生きたいと思うようになりました。もともとハングリー精神が旺盛なので、正直30代、40代ではもっともっと稼ぎたいとも思うようになりました。そこで、米国のビジネススクールに入学し以下の目的を達成しようと思い立ちました。

  • 世界経済・金融の中心である米国で投資ファンドに就職。日本人であることを生かせるようなこと、好きなことをやりながら給料を倍増させる。
  • 学歴の補強 。私のように金融業界に大幅なキャリアチェンジをするには米国MBAが必須。1年目のインターンで投資ファンドへの扉をこじ開け、そこからフルタイムのポジションに応募し、内定を勝ち取るため。
  • ファイナンス・投資のスキル、海外の経営層が持つ視点・共通言語を高いレベルで身に着ける。
  • 将来グローバル企業の幹部になるアメリカ人学生、留学生のレベル感を体感。自分の立ち位置を客観視する。
  • 英語力の底上げ

人生一回きりということで、世界最難関の米国TOP10校に出願する決意を固めました。

7.世界最難関のアメリカMBA受験

目標を高く設定するため、世界最難関のアメリカMBAを目指すことにしました。仕事をしながらの受験は想像以上の負荷でしたが、英語力を大きく底上げしてくれました。TOEFL iBTで最低ラインである110点を取得するのに1年以上を要し、TOEFLを難易度ではるかに凌駕するGMAT対策のにも1年ほど費やしました。それ以外にも、英語でのエッセイ作成や面接対策なども行い、準備に数千時間費やした結果、何とかアイビーリーグの一校とイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学から合格を貰いました。

周りの日本人受験者が殆ど東大出身である中で、凡人なりに適切な学習法を考え、あとは圧倒的な学習量でカバーすることで、何とかアメリカMBA留学への道を切り開くことが出来ました。

8.努力してもどうにもならない、自分の限界を知る

渡米後、MBAではグループ課題を一緒にやる3人のクラスメイトが割り振られ、彼ら・彼女らの英語力と、そもそもの能力に埋められない圧倒的な差があることを痛感することになりました。一人は、学年を成績トップで卒業し、その他2人も医者、戦略コンサル(マッキンゼー・ニューヨーク本社)と私とは全然スペックが違い、能力についても、本質的にポンコツな私とは雲泥の差がありました。私はTOEFLのリーディングで満点を取っていたものの、感覚的に彼ら・彼女らの英文読解スピードは私の2倍以上、スピーキングやライティングも彼ら・彼女らは非常に効率的で、語学力で私は全く太刀打ちできず。語学力を抜きにした、頭の回転の速さ、コミュニケーション力、分析力、批判的思考能力でも全て圧倒されてしまいました。

自分が今から努力しても追いつけない、能力面で圧倒的な格差が存在する現実を突き付けらましたが、一方でコツコツ調査を行ったり、じっくり分析するようなことについては、自分でも価値を出していけると確信しました。自分は、のめり込むと深く入っていくタイプなので、こういったキャラの人間には、ファンドでの調査分析の仕事は、向いているんじゃないかと(笑)みんな、要領はいいけど、パッションのない、そもそも興味のない分野では、そんなに頑張らないよねと。

凡人の自分は、彼らの土俵では絶対生き残れないため、逆張りの発想で、世界のトップ層が群がっていない、且つ自分の強みを生かすことができる分野、自分が情熱を注げる分野に注力し、適切なやり方で圧倒的な量をこなしてやろうと思いました。私は元々落ちこぼれな分、結果を出すまでやり抜く力・執念では絶対負けるもんか、という気概だけは持ってやっていました。

9.優先順位を決めて全力投球し、米国でチャンスをつかむ

現実的な自分の限界を知り、目的を達成するために意識的にやること・やらないことの優先順位を決め、取捨選択をしていきました。時間を捻出するため、2年間遊ぶ時間はほぼゼロで、学校と寮の往復の繰り返し。学校の授業や、予習・復習に加え、米国証券アナリストの試験勉強や、米国での就職活動の対策に一日8時間程度費やしており、物理的な限界に挑戦していました。恐らく、一日18時間程度、これらの活動に費やしていたと思います。

一学期の最初に優先順位の置き方を誤り、成績不振で退学の危機を迎えましたが(汗)、1学期の後半から成績を盛り返すことができました。2000万円の留学費用と会社を辞めることによる3000万円の機会費用を考慮すると、5000万円程度も投資したことになり、死ぬ気で投資を回収するんだ、という意気込みで必死にやっていました。

結果、運も味方して現地アメリカで複数の投資ファンドからインターンのオファーをもらい、その中のサマーインターン先からフルタイムのオファーも貰いました。MBAも無事修了することができ、難関といわれる米国証券アナリストの試験も、1次、2次、3次試験を1年半という最短で、全て最上位・一桁台の成績で合格することができました。

最初に就職した会社の上司、同僚は凄くよかったものの、会社のガバナンスに大きな問題があり、紆余曲折ありましたが、現在の会社にたどり着き、給料は商社時代の何倍にも上がりました。働き方も、現在は自分のペースで自分の好きな世界中の株式の調査・分析、ファンドマネジャーである上司への銘柄推奨を行っており、米国MBAを取って現地就職してよかったなと思っています。将来は、自分で特色のあるファンドを立ち上げたいと思っています。

10.自分の経験を共有し、世界に羽ばたこうとしている方の後押しをしたい

私は頭が良い方ではなく、英語も昔は大っ嫌いでした。しかしながら、こんな私でも、日々試行錯誤を繰り返し実践する中で、英語を上達させ海外留学、海外就職を実現させました。様々な経験を通じて、ノウハウもそれなりに蓄積してきたのかなと思っています。もしかしたら、自分の限界を知っている分、割と素直で、バイアスに陥ることなく色々なことを試していけたのかもしれません。

ハーバード大学ビジネススクールのノーリア学長によれば、新入生900人のうち、かつては30~40人いた日本人が、現在は4~5人に減っており、アジアで学生が減っているのは日本だけだそうです。

そんな中で、リスクを取ってガンガン海外に出て行きたい、海外に興味があり英語を学びたい方に向けて、お役に立てそうな・励みになりそうな記事を、本ブログでは書いていきたいと思います。

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