
1.人間が意思決定をする際の限定合理性
ノーベル賞受賞者で認知心理学者でもあるハーバート・サイモンによれば、人間の情報収集能力には限界があります。十分な情報収集ができたとしても、部分的な情報をベースに、非合理的な結論を出してしまう傾向にあります。研究者によれば、人間は大量の情報に接すると、事象を論理的に分析するのではなく、経験則やメンタル・ショートカットに頼って意思決定を行います。これは人間が大量の情報を効率的に捌くために身に着けたヒューリスティック( 無意識に使っている法則や手がかりで、経験則や直感など)と呼ばれるものです。
2.脳の情報処理の傾向
40年に渡り人間の情報処理能力について研究したノーベル賞受賞者ハーバード・サイモンによれば、我々は与えられた情報のほんの一部にしか反応しません。人間は、情報に対して無意識にフィルターをかけることで、本当は重要かもしれない情報も取り除いてしまいます。結果、不正確にしか外界を理解できません。我々人間のアタマには、情報量が多く複雑な事象を処理するだけの容量が不足しているといいます。
また、人間は連続的・線形的で、比較的わかり易いロジカルな情報処理は得意ですが、ある情報の意味合いが、他の情報の解釈次第で全く異なるような、複雑な環境における分析には向いていません。例えば、収益性面で全く同じように見える会社でも、マクロ経済環境、業界、競争環境、成長性、利益率などの見通し次第で評価が大きく異なります。各要素は密接に関係しており、会社の評価を難しくしています。
3.専門家含む人間は複雑な情報処理が苦手
専門家は複雑な環境下で意思決定を行う際により多くの情報を求めますが、情報量に伴い判断の質が向上するかというと、必ずしもそうではありません。 前回ご紹介した本の内容を一部抜粋します。(※古い実験なので、今は医学的に異なる診断プロセスかもしれません。)
例えば、胃の腫瘍が悪性かを適切に判断するためには、放射線科医はX線などで7つの症状(57の組み合わせが存在)を確認し、各症状の相互関係も含めた全体像を把握することが診断の肝ですが、実際に適切なプロセスを経て診断されたものは3%程度で、9割以上のケースでは、単純に各症状を足し算で合計しただけのものでした。また、別の実験でも医師、看護師、見習いの大学院生に同じ思考のクセがみられ、各症状の相互関係や全体像の把握といった適切な診断に必要な思考はみられませんでした。株式市場を対象にした調査でも同じ結果が出ました。
臨床心理士を対象にした調査では、与えられた情報量が多くなる程、自身の診断に対する自信が増したものの、診断の正確性は向上しないという結果が出ています。例えば、与えられた情報量が少ない場合、臨床心理士は自分の下した33%の診断に対しては正しいと思っており、実績値の26%との乖離は7%でした。一方で、先の例の4倍の情報量を与えられた時には、臨床心理士は自分の下した診断の53%が正しいと思い込んでいましたが、実際には正しかったのは28%で、情報が少なかった場合と比較して、診断の正確性にはたった2%分の改善しか見られませんでした。実際には50%の診断しか正しくない時に、90%が正しいと思い込んでいる場合もありました。競馬の予想でも全く同じ結果で、人間はより多くの情報を得ると自信の度合いが増すものの、予想の精度は殆ど改善しないという研究結果が出ています。認知心理学者による多くの研究で、人間は単純な物事に対しては現実的な対処をするものの、数値化の困難な事象が多く複雑な物事に対しては、自信過剰になることが分かっています。弁護士、臨床心理学者、物理学者、エンジニア、交渉人、証券アナリストに対する調査で同様の事が示されています。
また、人間は物事の表面だけを見て判断しがちです。多くの人は、人の振る舞いを予想するのに、短時間の面接で十分と考えています。例えば、アナリストは経営陣の質を見極めるために、多くの場合1時間も使いませんが、様々な研究からアナリストの判断・業績予想は誤っている事が示されています。ハーバード・ビジネススクールでの調査によれば、学校は事前に面接した方が優秀な成績を修める学生を獲れると考えていたようてすが、実際は、純粋に成績だけで選んだ学生の方が優秀な成績を収めることが分かりました。しかしながら、現実社会で、相手から表面的な印象を取り除くのは困難です。
4.証券分析は無理ゲーか?
先に述べた人間の脳の情報処理や株式市場の特性を踏まえれば、証券分析は無理ゲーと言っても過言ではありません。証券分析では会社の稼ぐ力を見極めることが重要になります。従いアナリストは、主力商品の各市場での競争環境、価格、工場稼働率など、各重要項目についての見通しを作成します。また、拡張計画、資本政策、配当政策、会計や、鉱工業生産、金利、インフレ率などマクロ経済の情報も得ようします。残念ながら、専門家のマクロ経済予測は当てにならず、マネジメントから得られる各種情報も、そもそも数値化が不可能なものが多く、現実的に正しく予測をすることは非常に困難です。各分析段階のエラーが小さくても、最終的に各段階のエラーを合計すると、不正確な分析になるという現象が起きてしまいます。殆どのアクティブ運用のマネージャーの成績が振るわないのも、納得がいきます。 逆に、こういった人間の欠点を克服するような意思決定や投資プロセスを持ち、且つ市場の非効率性を発見し投資する手法を有するファンドには、まだまだ勝つチャンスがあると思います。